(スポーツニッポン)
ほんの2ヶ月前まで、アルゼンチンの人々にとって新型コロナウイルス感染症は対岸の火事でしかなかった。武漢の人たちが屋内に閉じ籠って過ごす様子をとらえた動画はとても非現実的に感じられ、他人事としか思えなかった。
ところがどうだろう。今ではアルゼンチンも全土隔離の状態にある。日本では「ロックダウン」という言葉が使われていることを知った。「オーバーシュート」と合わせて、今回新たに常用されるようになった外来語だが、まるでSF映画の中だけで使われるような言葉だ。
アルゼンチンでは、イタリアとスペインで感染が一気に拡大してから連日情報が入り、恐ろしく悲しい状況がリアルタイムで共有されてきた。長時間働き詰めで顔にマスクとゴーグルの痛々しい跡を残した医者や看護師たちの写真や、ウイルスに感染して呼吸困難になりながら「甘く見るな」と訴える若者の動画。ここ1ヶ月の間、現地からの生々しい様子がSNSで伝えられてきたことで未知のウイルス感染拡大がもたらす恐怖と混乱を目の当たりにできた。アルベルト・フェルナンデス大統領が3月3日に国内で最初の感染例が確認されてから9日目に緊急事態宣言を発令し、17日目からロックダウンに入るという早急な対応に講じたのは、イタリアとスペインの例がもはや人事ではないことがわかっていたからだった。
ところが、国内のリーグ戦は完全に中止となるまで若干時間がかかった。フェルナンデス大統領は緊急事態宣言を出した会見でサッカーについて聞かれ、「無観客で行われるのであれば何ら問題はないと思う」と発言。すでに今シーズンはボカ・ジュニオルスの優勝で終わっていたが、その直後から行われることになっていたミニリーグ戦「コパ・デ・ラ・スーペルリーガ」は予定通り13日から無観客で開幕。リーベルプレートの選手だけが新型コロナウイルス感染防止のため試合を棄権するというハプニングがあったが、結局第1節が終了した時点でリーグ戦は中断となった。幸い、3月24日現在で国内のサッカー選手の感染例は確認されていない。
国をあげた「新型コロナウイルス感染拡大防止策」が始まると、アルゼンチン国内ではサッカーのクラブが次々と協力を申し出た。感染の疑いがある人たち、または患者を隔離するための施設の提供や、医療スタッフの派遣を持ちかけるクラブもあった。
首都ブエノスアイレスの郊外に位置するキルメスの場合、軍隊にスタジアムを貸し出した。ロックダウンに合わせて外出禁止令が敷かれる中、貧困層の人たちに食料品や日常生活品を配る軍隊がベースとして使えるようにスタジアム周辺の敷地を解放したのである。
またアルゼンチンサッカー協会も、広大なトレーニング施設の中にあるフットサルコートを提供。120床のベッドを置き、海外から帰国する人を一時的に隔離するための貴重なスペースとして使われることになっている。このトレーニング施設は国際空港から約6kmという近い距離にあるため、帰国後の隔離には最適の立地だ。
国内における現時点での感染者数は387人で、医療崩壊には至っていないが、それでもすでに医師や看護師たちは通常以上の時間を費やして診察とケアに従事している。そんな医療関係者たち、そして外出禁止令下で警備にあたる警察や憲兵たちを応援するため、アルゼンチンの人たちは毎晩9時に窓から外に向けて拍手をおくっている。拍手と一緒に「バモス(がんばれ)」という声援を飛ばす人も少なくない。人々が家に留まり静まり返った街中で、毎日決まった時間にあちこちから一斉に拍手喝采と声援が巻き起こる光景はとても感動的だ。普段は自己中心的な人が多い印象を与えるアルゼンチンだが、こういう時に見せる団結力は素晴らしい。
南米では3月26日から始まる予定だったW杯予選が延期となり、コパ・リベルタドーレスもコパ・スダメリカーナも中断され、6月にアルゼンチンとコロンビアで開催されることになっていたコパ・アメリカも1年延期となった。南米サッカー連盟は24日、SNSの公式アカウントを通じて次のようなメッセージを送った。
「サッカーをするのに慌てることはない。再びサッカーが戻って来るとき、スタジアムのみんなが健康である姿を見たいから」
健康であれば、命があれば、未来もある。今は皆が心をひとつにして、この危機を乗り越える時なのだ。(藤坂ガルシア千鶴=ブエノスアイレス通信員)
(写真は首都ブエノスアイレスの現状)
投稿者 荒尾保一