(以下は、ブエノスアイレスに住むバンドネオン奏者西原なつきさんの文書です。現地に住む人の実感がよく書かれていると思うので、あえて掲載します。荒尾保一)

2022年7月、下半期に入って最初の週末にアルゼンチンに衝撃が走りました。
アルゼンチンの経済相グスマン氏が、突然ツイッターで辞任を発表したのです。

同氏はフェルナンデス現大統領の政権下で債務再編、IMFとの交渉など国の財政政策を担ってきた人物。経済危機真っ只中、不安に満ちている状況での突然の辞任発表は非常にショッキングな出来事で、週末はこの話題で持ち切りでした。
そして丁度日曜日の深夜、日が回った頃に、シルビナ・バタキス氏の新経済相就任が発表されました。

週明けの月曜日、並行為替レートDolar Blue(国内の個人間など法外な取引で扱われる、いわゆる闇レート)は前日比から40ペソ安い、1ドル280ペソまで下落。7月22日には一時1ドル350ペソまで下がり、現在も不安定な状況が続いています。米国市場でもアルゼンチンのドル建て国債の価格が急落し、カントリーリスク指数EMBIは前日比9.4%上昇しました。

そして、就任からひと月も経っていない7月28日・・・

バタキス氏がIMFとの交渉の為のアメリカ合衆国訪問から帰って早々、大統領府での会議終了後に発表されたニュースは、新しい経済省体制の発表、そしてバタキス氏が退任しセルヒオ・マッサ氏が新経済相に就任するというものでした。

一か月の間に2度の経済相の交代、またエコノミストでも何でもない政治家の経済相就任は、国民一同頭を抱えたくなる状況です。

この10年での変化

私がアルゼンチンで滞在をし始めた2014年は1ドル12ペソ、100ドル紙幣をDolar Blueレートで換金すれば1200ペソになっていたのが、現在は100ドル紙幣が約33000ペソになる、という計算です。

例えばタクシー代は初乗りが12ペソだったのが、今は144ペソ。

朝食の定番であるメディアルナ(クロワッサン)は、ひとつ2、3ペソ程度だったのが、今では約70ペソ程度です。

最大紙幣も10年前は100ペソ札でしたが、今では1000ペソ札が最も大きく、その価値は悲しいことに現在3ドル程度の価値しかありません。

2020年2月には、それまで使われていた5ペソ札が廃止され、1ペソの小銭に関しては、小銭本来の価値よりも作るコストのほうが高くつくようになってしまった(現在は1ペソ銭一枚につきコスト3ペソ)と呆れ話になっています。

幾度もの経済危機を経験してきたアルゼンチン

しかしこれは今に始まったことではありません。アルゼンチンでは1992年にハイパーインフレで通貨のゼロが増えすぎたために、当時の国内通貨「Austral」が廃止され、新しく「Peso argentino」が生まれたという歴史を持ちます。

また、2001年の経済危機の際には銀行口座が凍結され、銀行に預けていたドルが全てペソにすり替わる(そのペソの価値はドルの半分相当)という恐ろしい出来事に見舞われたことも、国民にとって記憶に新しく、深い傷を残しています。

その為国民は自国通貨アルゼンチンペソと銀行を信頼しておらず、皆米ドルを手元に紙幣で置きたがります。しかし銀行から正式にドルを購入できるのは月に200ドルまでと、ドルの入手には制限が掛けられています。この為、非公式なレートだとしても、急落するペソを手放しドルに両替したい人が闇換金所に殺到しているということが、闇レートがどんどん上昇しているひとつの要因です。

そしてまた複雑なのが、現在国内で流通しているドル⇔ペソの換金レートの数。現在は合計6つ存在し、新聞などでも日々更新されています。それらは銀行のオフィシャルレート、輸出入用のビジネスレート、外国人旅行者用レート、闇レートなどです。(DOLAR : BNA, BLUE, TURISTA, MAYORISTA, CDO C/LIQ, MEP CONTADO)

住んでいても頭のこんがらがるようなシステムですが、フェルナンデス大統領が選挙当選時に公約として掲げていた、「アルゼンチン経済をダメにするBicicleta financiera(キャリー取引)からの脱却」は、一応守られている形です。

アルゼンチンのお給料事情

アルゼンチンの現在の最低賃金は45540ペソ/月、正規雇用の平均月収は100000ペソです。(2022年7月現在)

また中流階級層・4人家族の場合の、ひと月当たりの最低支出額は100000ペソと計算されており、それ以下となると貧困層というカテゴリーになります。
なので、正規雇用の共働きでも最低賃金で働いていれば、4人家族で貧困層家庭となるわけです。

家賃はブエノスアイレスの市街地のワンルーム賃貸でおよそ50000ペソ(2022年5月発表の平均価格)、郊外では20%~30%減くらいで同じ条件のお部屋を見つけることが可能です。

賃貸だと年に一度家賃更新があるのですが、その値上げ率はインフレ率と同じパーセンテージと定められていて、更新の際に値上げがいくらになるか計算が出来るサイトも政府によって制作されています。(私の家賃更新も来月なので、計算してみたのですが恐ろしいです・・・。)

そしてインフレ率に伴い給与も同じ比率で上がっていれば良いのですが、そうはいかないのが現実です。
職種(労働組合の強さ)にもよりますが、その比率のズレは、塵も積もれば山となります。私の周りの様々な正規雇用(会社勤務、市立・国立オーケストラ正団員など)の友人たちに事情を聞いてみたところ、昇進などを考慮せず同じように勤務した場合の給与をドル換算すると、10年前に比べておおよそ3分の一程度に減っているという計算になっているようです。

航空券購入や国外利用でのクレジットカード分割払いが不可能に

アルゼンチン中央銀行は2021年11月、航空券や宿泊代など外国旅行サービスのクレジットカードによる分割払いを禁止しています。これには外国旅行に対するディスインセンティブを働かせて外貨流出を少しでも抑制する狙いがあり、逆に国内旅行で消費を促す為の政策「Previaje」が、2021年~2022年のバケーションシーズンに合わせて実施されました。

これは、国内旅行の航空券代・ホテル宿泊代など特定の旅行費用に関して50パーセントがバックされ、バック分は国内の指定の飲食店などで利用できる、というものでした。

なので今年のバケーション期間には、普段外国に行く人もPreviajeを利用して国内旅行へ出掛けていたような印象です。(経済危機でも、バケーション期間にはしっかりバケーションを楽しむ、というのがアルゼンチン流・危機のやり過ごし方です。)

街の様子、生活していて感じること

日々状況が変わり、新たな規制や取り決めが発表され続けているアルゼンチン。

こんな経済状況でも人々はお茶を楽しんだり、休日には友達や家族とBBQをしたり、夜遊びに出たり、普通の日常を楽しんでいる雰囲気のある首都ブエノスアイレス。観光でいらした方々の、「アルゼンチンっていつも危機と言いながら楽しそうに暮らしてるよねぇ」というコメントもよく聞きます。

危機慣れしているというか、この国の人々はみんな口を揃えて「10年にいっぺん危機が来るのがアルゼンチンだからね~」と言うのです。

とは言え日中のビジネス街や問屋街、ラッシュアワーはピリピリした空気に包まれているのですが、今月に入ってから特に、そんな日常生活の空気は一段と悪くなっているようにも感じます。2001年の経済危機の際にはサケオと呼ばれるスーパーマーケットなどへの集団略奪行為なども多くありました。先日地方都市では略奪行為をほのめかす集会がスーパーマーケット前で行われていたということで、治安悪化は否めない状況です。

過去の苦い歴史が繰り返されないよう、人々の暮らしが守られることを祈るばかりです。

  • 著者プロフィール

西原なつき

バンドネオン奏者。”悪魔の楽器”と呼ばれるその独特の音色に、雷に打たれたような衝撃を受け22歳で楽器を始める。2年後の2014年よりブエノスアイレス在住。同市立タンゴ学校オーケストラを卒業後、タンゴショーや様々なプロジェクトでの演奏、また作編曲家としても活動する。現地でも珍しいバンドネオン弾き語りにも挑戦するなど、アルゼンチンタンゴの真髄に近づくべく、修行中。