『南米のパリ』と称されるアルゼンチンの首都、ブエノス・アイレス。ヨーロッパ移民が造り上げたその街には重厚感あふれる美しい建物が建ち並び、遠く離れた麗しの故郷にも引けを取らないエレガントな趣きをたたえている。

シックで落ち着いた雰囲気が魅力的なブエノス・アイレスだが、その一角にまるでおもちゃの国に迷い込んだかと思うほどポップで華やかなエリアがある。それがラ・ボカ地区の「エル・カミニート」だ。

世界中の人々が訪れる「エル・カミニート」

タンゴ発祥の地、港町ラ・ボカ

Boca(ボカ)とはスペイン語で“口”、または“出入口”の意。ラ・ボカ地区はマタンサ-リアチュエロ川の河口(ボカ)に位置する天然の港で、1536年にスペイン人ペドロ・デ・メンドーサが現在のブエノス・アイレスの前身、“サンタ・マリア・デ・ロス・ブエノスアイレス市”を設立した場所ともいわれている(諸説あり)。

水深の浅さや洪水などの問題から長く顧みられることがなかったこの街は、19世紀以降のヨーロッパ移民受け入れや造船所の建設、ブエノス・アイレス鉄道の支線がラ・ボカ港まで延伸されたことなどを契機に発展した。その支線が通過していたわずか150mほどの小道が、のちに「エル・カミニート」と呼ばれる通りへと姿を変えるのである。

天然の港、ラ・ボカ

祖国イタリアを離れラ・ボカに住み着いたジェノバ出身の移民たちは、貧困と郷愁を抱え酒場に集い、毎晩のように歌い踊って騒いだという。日々の憂さを晴らそうと安酒を煽る男と、そんな男に媚びを売る女。もともと男同士の踊りが、男女の舞へと代わるのにそれほど時間はかからなかった。世間の不条理に対する鬱々とした気持ちと内に秘めた情熱がぶつかり合い、醸成し、やがてタンゴという魅惑的なダンスが生まれた。

廃材でできたカラフルな長屋

そんなイタリア人労働者たちが暮らしていたのは、船の廃材などを利用したコンベンティージョとよばれる集合住宅、いわゆる長屋だ。波型の金属板と木材を組み合わせ、当時の洪水の頻度を考慮し基礎部分を持ち上げた造りで、少しでも多くの所帯を収容できるよう部屋は小さく、共同のキッチンやトイレ、浴室は住人の大切なコミュニケーションの場となっていた。

長屋の屋根や壁の塗装には、造船所などからもらい受けたペンキを利用した。当時の塗料は貴重で余りモノしか使えず、外壁全体を同じ色で塗ることは難しかったのだ。ペンキの量に合わせて壁面や窓枠、扉、バルコニーを塗り分けた結果、今のようにカラフルな街並みが出来上がったという。少ない塗料を遊び心と芸術性で補ったセンスは、イタリア人移民ならではといえるだろう。

ポップでカラフルな外壁のコンベンティージョ

エル・カミニートの誕生

しかし、1928年の鉄道廃線をきっかけに港町ラ・ボカはさびれていく。もともと手狭なコンベンティージョでも、居住人口に比べ極端に少ない共同トイレの数から生じる衛生問題などが次第に表面化し、長屋のある通りは一時ゴミ溜めのようになっていた。

この通りを蘇らせたのは、ラ・ボカ生まれの芸術家ベニート・キンケラ・マルティンだ。1959年、マルティンの発案でこの場所に博物館が建設され、かつての長屋通りはタンゴの名曲にちなみ「エル・カミニート(小路)」と命名された。19世紀のジェノバ移民の文化や生活様式を受け継ぐコンベンティージョの文化的価値は高く、国もその保存に力を入れている。

ラ・ボカ港に建つベニート・キンケラ・マルティン像

現在エル・カミニート周辺にはおしゃれなカフェやレストラン、土産物屋が集まり、通りのカラフルな外観が街に活気をもたらしている。バルコニーや店先に置かれたアニメの人気キャラクターや有名人の人形が、訪れる人たちを笑顔で迎え入れてくれるのもいい。

現在のエル・カミニート。博物館や手作りアートを売る露店が並ぶ
おしゃれなレストランが建ち並ぶ一角
サッカーの神様マラドーナとエバ・ペロン、タンゴ歌手カルロス・ガルデルの人形が観光客を笑顔でお出迎え
エル・カミニートの北側にはブエノス・アイレスのサッカークラブ、ボカ・ジュニアーズのホームスタジアム「ラ・ボンボネーラ」がある

そこにいるだけでワクワク感が止まらない、ポップでカラフルなエル・カミニート。都心の大人びた雰囲気とは一味違う、ブエノス・アイレスの色鮮やかな魅力に触れてほしい。

原田慶子
大阪府生まれ。2006年からペルー・リマ在住。08年よりフリーライターとして活動、リマでの不動産購入・リフォーム経験を基にしたコラムも手掛ける。各誌取材・執筆協力、ラジオ出演多数。世界100ヵ国以上の現地在住日本人ライターの組織「海外書き人クラブ」会員

投稿者 荒尾保一