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W杯優勝に国民が喜ぶ理由

(文春オンライン)

 終わってみれば、メッシの大会だった——。W杯優勝の翌日、アルゼンチン主要3紙にはリオネル・メッシ(35)を前面に押し出しこんな見出しが躍った。

「永遠の栄光」(ラ・ナシオン紙)

「ありがとう、メッシ」(クラリン紙)

「神(メッシ)はアルゼンチン人」(オーレ紙)

36年ぶりの歓喜に沸くアルゼンチンでは、1週間以上が経った今なおその余波が続く。12月20日に行われた凱旋パレードでは、国の象徴的なモニュメントであるブエノスアイレス市内の「オベリスコ」を起点に、実に500万人とも言われる人々で埋め尽くされた。

選手がいるバスに飛び乗るため、歩道橋から飛び降りる人も現れるなど、あまりの熱狂ぶりにバスでの凱旋は中止となり、選手たちは急遽ヘリコプターからの凱旋へと切り替わった。凱旋終了後も興奮冷めやらぬ一部のサポーターが、警察官と揉め、サポーター同士が殴り合うなど、“ご愛嬌”とはならないのが何ともアルゼンチンらしい。が、それだけ国民が待ち望んだ瞬間だったのだ。

W杯優勝の翌日、「ありがとう、メッシ」と報じたクラリン紙

経済や政治は最悪の状態…W杯の優勝がアルゼンチン国民の希望に

ブエノスアイレスでシェフとして働く、エスクエル・フェレイラさん(42)はこう喜びを爆発させる。

「アルゼンチン人が、36年間も待っていた瞬間がやっと訪れた。この国で生きる半数が、W杯優勝を知らない人々だった。今、アルゼンチンの経済や政治は最悪の状態で、この優勝は国民に再び希望をもたらしてくれたとも思う。今はとにかく『凄い、嬉しい』以外の言葉が出てこない」

アルゼンチン1部リーグのCAウラカンでプレーしたキャリアを持つ加藤友介さん(36)は、今大会のアルゼンチン代表の変貌ぶりに驚いたという。純粋な戦力だけでみれば、フランスやブラジルより1枚も2枚も落ちるという見方が妥当だろう。実際に加藤さんも、決勝戦の前はフランス有利という見解だった。だが、アルゼンチンはその強靭なメンタリティで優勝をたぐり寄せた、と分析する。

「アルゼンチンでは技術や身体能力だけではなく、いかに個性があるか、戦える選手かということが評価につながります。準優勝した2014年のブラジルW杯で、最も国民の支持を集めた選手がDFのハビエル・マスチェラーノだったのが象徴的。

今大会もアルゼンチン人達と連絡を取り合っていましたが、最も評価されていたのが中盤で献身的にチームを支えたMFのロドリゴ・デ・パウル(28)でした。そんな国だから、メンタルが強くて戦える選手が出てくるわけです。おそらく10回戦えば、6回はフランスが勝つと思えるほどの戦力差ですが、それでも決勝の舞台にその1回を持ってくるのが、アルゼンチンという国の強さだと感じます」

メッシは今大会で“マラドーナの呪縛”から解放された

アルゼンチンには、絶対的な英雄であり聖域でもある「マラドーナ」がいる。優勝した1986年のW杯では“神の手”、5人抜きゴールなど、今でも語り草となっている鮮烈な活躍を見せた。彼は時に“過ち”を犯したが、それすらも愛嬌として国民の心を掴んだ。以降、アルゼンチンでは「マラドーナ2世」という表現が長らく用いられてきたが、メッシですらその重みに潰されそうになってきた。

だが今の国民の半分はマラドーナを知らない、メッシ世代だ。今回の優勝を受けて、ようやく“マラドーナの呪縛”からこの国は逃れられるのではないか、と加藤さんが続ける。

「マラドーナがここまで国民に愛されたのは、生き様としての『男感』だと思うんですね。ピッチ場での表現力ともいえるんですが、感情をむき出しにして、時に飛び蹴りを食らわしたり、破天荒だけど男臭く戦う姿。サッカーから離れると、人間的な脆さもあり、薬物に手を出したり、太りすぎたり。でも、そんな人間臭さも含めて人を引き付けた。

スマートで自己表現をあまりしないメッシには、男らしさの面で物足りなさを感じるアルゼンチン人も多かった。それが一変して、今回はメッシのためのチームづくりが行われ、中心選手として珍しく感情的になり、チームを勝たせるために貪欲に戦っていた。この優勝で、メッシがマラドーナを超えた、と感じる若い層も多いと思いますよ」

「永遠の栄光」と報じた、ラ・ナシオン紙。アルゼンチン国内ではメッシがマラドーナを超えたと考える人も多いという。

右下量三さん(53)は、マラドーナに憧れて15年前にブエノスアイレスへ移り住んだ。以降、日本語学校の講師として、W杯の熱狂や移ろいゆく国の盛衰を見てきた。右下さんによれば、今回のアルゼンチン代表を取り巻く環境は、これまでのW杯と明確な差があったという。

「批判的なアルゼンチンメディアや国民も、今大会に限れば雑音がほとんどないという雰囲気がありました。初戦のサウジアラビア戦で敗れたあと、メッシが『俺たちを信用してくれ』と国民にメッセージを発したんです。去年のコパ・アメリカで優勝という結果を残し、一度彼を信じてみようという土壌が既にあった。そこから代表チームやメディア、国民がひとつにまとまっていった感覚がある。

これまでのW杯の歴史だと、国内からの強い批判で押し潰されていたかもしれませんが、今回は静かに見守ろうという空気になった。そういう意味では、アルゼンチンという国全体で代表を後押しした初の経験だったかもしれません」

物価上昇率は深刻、失業率や貧困率も増加するアルゼンチンの現状

W杯優勝がこの国に何をもたらすか——。そう尋ねると、右下さんは言葉に詰まる。物価上昇率は深刻で、衣類や文房具などの日用品は日本より数倍の値段だ。パソコンひとつ買うにも、優に30万円を超える値がつくため、多くのアルゼンチン人は買い物のために越境してチリなどの隣国まで足を伸ばすという。

失業率は増加の一途を辿り、貧困率も40%に達する勢いだ。それでも多くのアルゼンチン人は家や車まで売り払い、カタールへと飛び、チャントを送っていた。

 

「この国は来年の選挙までは変わらないでしょう。現アルベルト・フェルナンデス大統領はクリスティナ・フェルナンデス・デ・キルチネル副大統領の傀儡で、その副大統領も汚職の罪で有罪判決が下り、既に国民の支持は離れています。

アルゼンチンには政権に金を搾取されないため、“クロ”と呼ばれる給料を手渡しで受け取る人が40%近くいると言われている。そんなタイミングで行われたW杯だけに、国民にとって代表チームの躍進は一縷の希望だったわけです。優勝で確かに国は盛り上がりましたが、それで経済が好転すると楽観視する人は少数派でしょう」

アルゼンチンという国はこれまで実に9度のデフォルト(債務不履行)に陥っている。筆者もデフォルトの危機が囁かれていた2012年、2013年の2度、アルゼンチンを訪れた。ブエノスアイレスは、「南米のパリ」と呼ばれるほど美しい街並みを誇る。それでも少しエリアを離れると、農業大国としての側面も確かに感じられ、驚くほど安価で上質な牛肉を味わえた。

しかし、国民の生活は当時から苦難に直面しており、通貨のペソは価値を落とし、旅行者や一部の国民の中には、隣国のウルグアイに入り、ドルで両替を行い倍近い交換率で紙幣を手にするものもいた。

フェルナンデス政権への怒りを、このW杯優勝の歓喜へと転換

鬱憤を晴らすかのように、週末だけはいたるところで贔屓のクラブチームの応援に精を出す人々の姿があった。勝利した日には全てを忘れるかのように騒ぎつくす。サポーターを乗せたバスが道路を占拠し、街の飲み屋はビール片手に盛り上がるユニホーム姿の人で埋め尽くされていた——。

W杯優勝が母国への鬱憤を晴らしてくれた

凱旋パレードに参加したエスクエル・フェレイラさんは喜びの裏で、熱狂するサポーター達をどこか俯瞰して見ていたとも明かす。インフレ率が90%を超えるという物価高、汚職や腐敗が続くフェルナンデス政権への怒りを、このW杯優勝の歓喜へと転換させているようにも感じたからだ。生活が一向に改善されない母国の鬱憤を、ナショナルチームが代弁してくれた、と。

「皮肉なことに、アルゼンチンという国がひとつになるのはW杯の時だけ。経済も政治もサッカー協会も、この国が結束するということはない。私達の国では、1982年のフォークランド紛争でイングランドに負けて、悲しみに暮れていた。そのイングランドに1986年はマラドーナの大活躍で勝利した。だから彼は国民の英雄なわけです。

今回のメッシも、危機的な国の希望となる活躍だった。アルゼンチンという国は、政治とサッカーは切り離せない。今回のW杯優勝を経て、国が少しでもまとまって欲しい、と願っています」

優勝後の過剰な盛り上がりは世界的にも報道され、懐疑的な論調も目立った。それでもアルゼンチンの人々からすれば、祈りにも近い心情が込められていたのかもしれない。36年の時を経てもたらされた歓喜は、アルゼンチンの過酷な現実を一時的に忘却させたのだ。

W杯の優勝トロフィーを掲げるアルゼンチン代表のメッシ ©JMPA

投稿者 荒尾保一

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